前橋地方裁判所 昭和26年(ワ)152号 判決
原告 千明康
被告 十条製紙株式会社 外一名
一、主 文
被告十条製紙株式会社所有の群馬県利根郡片品村大字東小川字赤沢四千六百六十三番の二山林一千八十七町八反二畝四歩(公簿面積)と原告所有の同字四千六百六十四番山林五十八町五反三畝九歩(公簿面積)との境界は、赤沢本流と小赤沢との合流点から小赤沢を上り、その第一支流との合流点をホ点とし、ホ点から第一支流の谷を上り小赤沢と滝の沢との分水嶺に達する点をヘ点とし、一方右ホ点から小赤沢を上りその第九支流との合流点をチ点とし、チ点から第九支流の谷を上り片品村大字東小川と同村大字土出との境界に達する点をト点とするときは、右ト、チ、ホ、ヘの各点を谷又は川を辿りて順次連結する線であることを確認する。
訴訟費用中原告と被告十条製紙株式会社との間に生じた分はこれを二分し、原告と同被告と各その一を負担するものとする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「主文掲記の四千六百六十三番の二と同じく四千六百六十四番との境界は、赤沢と大滝川との合流点から赤沢本流を上り、同沢と小赤沢との合流点をイ点(別紙図面参照以下同じ)とし、更に赤沢本流を上り同沢が西沢と東沢とに分れる点をロ点とし、更に西沢を上りその第二支流深谷を西北上し片品村大字土出と大字東小川字赤沢との境界をなす嶺に達する点をハ点とし、右境界嶺を西方に伝い滝の沢と小赤沢との分水嶺と右境界嶺と接する点をニ点とし、右分水嶺を南下し俗称野猿岩に至り、ここから東南に折れて小赤沢第一支流を下り同支流と小赤沢との合流点をホ点とし、小赤沢を下りイ点に至る場合、右野猿岩とホ、イ、ロ、ハの各点を順次右のように結んだ線であることを確認する。被告三井木材工業株式会社は原告に対し金二千万円を支払うべし。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。
主文掲記の四千六百六十四番の土地(旧地番は乙四千六百六十四番であつて、昭和二十六年十月二十七日に現在のとおり変更せられた。以下四六六四番と略称する。)はもと国有林であつたが原告の先代千明賢治が昭和十一年三月十九日国から払下をうけ、同十八年六月二十一日原告が同人の死亡により、家督相続によつてこれを所有するに至つたものであり、主文掲記の四千六百六十三番の二の土地(旧地番は乙四千六百六十三番の一であつて、昭和二十六年十月二十七日に現在のとおり変更せられた。以下四六六三番の二と略称する。)は被告十条製紙株式会社(以下被告十条と略称する。)が昭和二十五年十二月中所有者たる被告三井木材工業株式会社(以下被告三井と略称する。)から買受け所有し、同二十六年十月二十七日その所有権移転登記を経たものである。四六六四番は前記請求の趣旨記載の通りイ、ロ、ハ、ニ、野猿岩ホ、イの各点を前示のとおり順次結んだ線によつて囲まれた地域であり、その東南において前記野猿岩とホ、イ、ロ、ハの各点を右のとおり順次結んだ線をもつて四六六三番の二と境を接し、その西方において右ニ点と野猿岩を小赤沢と滝の沢の分水嶺を伝つて結んだ線をもつて、原告と訴外千明三郎が共有する大字東小川字赤沢四千六百六十三番の三山林百四十八町四反七畝七歩(公簿面積)(旧地番は乙四千六百六十三番の二であつて、昭和二十六年十月二十七日に現在のとおり変更せられた。以下四六六三番の三と略称する。)と境を接している。そして四六六三番の二と四六六三番の三との境界は赤沢と大滝川との合流点であるリ点より、同地点に突出た赤沢右岸の尾根を登り赤沢と滝の沢の分水嶺に出で、同嶺を北上し、同嶺上ヲ点を経て、野猿岩に至る線である。そして四六六四番は旧幕時代「お留山」と云われ、民有林である「百姓稼ぎ山」とは明らかに区別され、明治時代官有林として査定され、その後前叙のとおり訴外千明賢治が国から払下をうけたもので、天然並びに図面上その境界は明確である。
ところが、被告三井は右の境界を知り乍ら昭和二十三年から同二十五年に至る間に四六六三番の二と四六六四番との前示境界線を越えて原告の所有する四六六四番地上の立木の殆んど全部を濫りに伐採搬出した。その石数は二万石、価格二千万円である。原告は被告三井に対し右金額の損害賠償を請求するのであるが、同被告は現に四六六三番の二を所有する被告十条と共に原告が四六六四番として主張する地域は全部四六六三番の二の範囲に属すると称して争い、被告等のこの主張によれば四六六四番は四六六三番の三の中になるか、又は北方大字境を越え片品村大字土出の中に存在するかの外には考えられなくなる。従つて原告は四六六四番の所有権にもとずき被告三井に対しては損害賠償請求の前提として、被告十条に対しては隣地所有者の故をもつて、四六六四番と四六六三番の二との境界の確認を求め、且つ被告三井に損害賠償を求めるため本訴に及ぶ。
なお、被告等の(一)の主張については、四六六三番の二並びにその地上立木は元来被告等の主張するとおりの原告他三名の共有するところであつて、被告等の主張する各日時に、その主張するような契約の締結、訴外上毛森林土地株式会社の設立登記、所有権移転登記があつて、結局被告等がその主張する各日時より順次所有するに至つたものではあるが、原告が四六六四番と主張する地域は全部大正五年十二月二十三日の立木売買契約並びに昭和三年六月一日の現物出資契約においてそれぞれその目的物には含まれて居らず、又昭和十八年十月二十五日の境界設定契約においても四六六四番は境界範囲の劃定から除外すること、換言すれば該境界設定契約に拘らず原告は四六六四番の所有権を主張し得べきことを留保したのである。又被告等の(二)の主張については原告及び訴外千明三郎が昭和九年八月九日被告等の主張するとおり両名の共有する四六六三番の三の一部地上立木を訴外舟山麗次に売渡したことがあるが、その売渡区域の範囲はその西側においては字赤沢と字女原との境のみならず字赤沢と大字土出との境に迄のびており、その東北側並びに東側においては被告等の主張する線よりも更に東寄りであつて、詳言すれば滝の沢本流と同沢第五支流に挾まれる同沢右岸の尾根を若干登つた地点をタ点とし、同沢本流と同沢第八支流との合流点に向つて下る同沢左岸の尾根を登り赤沢と滝の沢との分水嶺に至る少し手前の地点をヨ点とし、滝の沢本流と同沢第十一支流との合流点の東北岸の地点をカ点とし、滝の沢最上流が二タ股に分れその東側の沢を若干登つた地点をワ点とするときは、ニ、ワ、カ、ヨ、タ、ツを順次結んだ線より西が売渡区域の範囲である。
被告等の仮定的主張に対しては、その(三)、(四)の抗弁事実中前叙のとおり被告等主張の各日時にその主張する各契約が締結され訴外上毛森林土地株式会社の設立、訴外千明賢治が国から四六六四番の払下をうけその所有権を取得したことは認めるが、その余の事実は否認する。四六六四番は被告等主張の立木売買契約、現物出資契約のいずれにおいてもその目的物となつていないし、訴外上毛森林土地株式会社は原告が四六六四番として主張する地域を所有の意思をもつて占有していたことはない。なお、(五)の主張については、四六六四番を前記千明賢治が国から払下をうける際境界の査定はあつたが地積の実測はなく、右土地の実測面積は約百二十町歩である。
以上のとおり陳述した。<立証省略>
被告両会社訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、次のとおり答弁した。原告主張の請求原因事実中四六六四番がもと国有林であり原告の先代千明賢治が昭和十一年三月十九日国から払下をうけたこと原告主張の日に千明賢治が死亡し原告がその家督相続をしたこと、被告十条が原告主張の各日時に被告三井から四六六三番の二を買受け、その所有権移転登記を経たこと、原告と訴外千明三郎が四六六三番の三を共有していること、四六六三番の二はその西方において四六六三番の三と境を接すること(その境界線は後記一部分を除き原告主張のそれと異る)、被告三井が、原告が四六六四番なりと主張する地域にある立木を殆んど全部伐採搬出したこと及び原告が四六六四番として主張する地域は全部四六六三番の二の範囲に属するというのが被告等の主張であることは認めるが、四六六四番が旧幕時代「お留山」と云われ、「百姓稼ぎ山」とは明かに区別され明治時代官有林として査定されたものであることは不知、その余の事実は否認する。
元来四六六四番と四六六三番の二とはその境界を接することなく原告が四六六四番として主張する地域は全部四六六三番の二の一部に属し、真実の四六六四番は四六六三番の三に囲繞されて四六六三番の二の西北方に存在する。なお、四六六三番の三と同番の二との境界線は赤沢と大滝川との合流点(リ点)の西方、右リ点より水平距離六十間の地点であるヌ点を起点とし、ここから赤沢右岸を同沢に沿つてその右岸水平距離六十間で北に赴き、前示イ点の西方水平距離六十間のル点に至り、ここからその地点にのびた尾根をほぼ西方に向い登り、赤沢と滝の沢の分水嶺と合する地点ヲ点に至り、ここより小赤沢と滝の沢の分水嶺を北上しヘ点を経て、前示ニ点に至る線である。その理由は次のとおりである。
(一) 四六六三番の二は元来原告とその同族である訴外千明賢治、同三郎、同森蔵計四名の共有地であつたが、大正五年十二月二十三日右土地他十三筆の土地の上に存在する立木の内直径四寸以上のものを訴外田中栄八郎及び同大川平三郎両名に売却し、昭和三年六月一日には右原告等四名は右計十四筆の土地の中原告が四六六四番と主張する地域と無関係の八百町歩を除いた五千二百九町八反一畝十九歩の土地とその地上立木中直径四寸未満のものを、前記訴外田中、大川両名は右地上立木中直径四寸以上のものを、それぞれ訴外上毛森林土地株式会社に現物出資し同会社を設立する旨の契約を締結し、右契約によれば原告が四六六四番として主張する地域は全部四六六三番の二の中に入つており、右契約の履行として昭和九年二月三日右会社の設立登記がなされ、同月二十二日前記土地について同会社へ売買名義による所有権移転登記がなされた。その後昭和十八年十月二十五日右会社と原告との間に境界設定契約が締結され、原告が四六六四番として主張する地域は全部当時同会社の所有していた四六六三番の二の地内にあることが確認されている。同会社は昭和十九年一月二十一日前記の土地をその地上立木全部を含めて訴外三井物産株式会社に売渡し、これらは同年三月三十一日同会社より被告三井が譲受け、同被告は昭和二十一年から同二十四年上半期にかけて右土地の中原告が四六六四番と主張する地域及びその東側並びに南側附近の地上にある一部の立木を伐採した後前示の日時に前記五千二百九町八反一畝十九歩の土地を被告十条に売渡し且つ前示の日時にその土地についての所有権移転登記がなされたのである。
(二) 原告及び訴外千明三郎は昭和九年八月九日両名共有の前記四六六三番の三の一部地上立木を訴外舟山麗次に売渡したが、その売渡区域の東北方に隣接して四六六四番が存在しているのであつて、この関係位置よりすれば、四六六四番は四六六三番の三に囲繞されて存在すると考えるの外はない。右売渡区域は赤沢山の三角点を起点としてそのほぼ東南方に向い大沢と滝の沢との分水嶺を横切つて滝の沢第十支流の原流附近なるレ点に達し、ここより分水嶺と滝の沢との中腹を南下し、同沢第六支流と第七支流の分水嶺が二タ股に分れるソ点に達し、ここより西南に折れて大沢と滝の沢との分水嶺を横切つて大沢が字赤沢と字女原との境と交わる点即ちツ点に至り、ここよりその字境を伝つて前示赤沢山の三角点に至る線によつて囲まれた区域である。
仮に四六六四番が被告等の主張する四六六三番の二と同番の三との境界線以東に存在するものとすれば、右以東の四六六四番の所有権は原告にない。即ち、
(三) 右境界線以東の土地及び立木は全部前記昭和三年六月一日の現物出資契約の目的物となつており、右土地及びその地上立木中直径四寸未満のものは訴外千明賢治が出資者の一人であるし、右地上立木中直径四寸以上のものは同訴外人が売主の一人である前示大正五年十二月二十三日の立木売買契約によつて買受けた前記訴外田中、同大川の出資したものであるから、万一該地域内に他人の所有地である官林四六六四番が存在したる場合に於ては、千明賢治等はその所有権を取得して上毛森林土地株式会社に移転する義務を有するものである。而して後日右義務者が右所有権を取得した場合に於ては該所有権は何等の意思表示を要せずして当然に右請求権者に移転するものであるから、千明賢治が昭和十一年三月十九日国から四六六四番の払下をうけその所有権を取得した時において、当然右上毛森林土地株式会社は、前記地上立木中直径四寸以上のものは前記大川、田中両名を経由し、右土地及びその地上立木中直径四寸未満のものは直接にそれぞれ所有するに至つたものである。そして右土地及び立木は同会社から昭和十九年一月二十一日訴外三井物産株式会社に売渡され、同会社から同年三月三十一日被告三井に譲渡され、同被告から昭和二十五年十二月中被告十条が買受けたのであるから、前記のとおり訴外亡千明賢治の一般承継人である原告は、被告等に対して前記土地及びその地上立木の所有権を主張できないのである。
(四) 右の主張が仮に理由のないものであつても、被告等は訴外三井物産株式会社のため完成した時効を前提として順次右土地及びその地上立木の所有権を取得したのである。即ち訴外上毛森林土地株式会社は其の設立の時即ち昭和九年二月三日以来前記土地立木を前記昭和三年六月一日の現物出資契約によつて同会社の所有するところとなつたものとして善意無過失にて占有を始め、以来所有の意思をもつて平穏且つ公然に占有を継続し、訴外三井物産株式会社も昭和十九年一月二十一日から引続き右土地立木を同様に占有し続けて来たのであるから、その所有権に関する取得時効は前記起算日より十年を経過した同年二月三日の経過と共に当時の占有者である訴外三井物産株式会社のために完成しているのである。而して被告三井は同年三月三十一日右三井物産株式会社から右土地立木を譲り受け、被告十条は昭和二十五年十二月中被告三井からこれを買受けたのであるから、被告等は本訴において右時効を援用する。したがつて原告の主張は理由なきに帰する。
(五) 仮に以上の主張が理由なく四六六四番が前記境界線以東に存在し、且つ原告の所有するものであるとしても、右四六六四番の実測面積は原告の主張するように約百二十町歩ではなく、公簿面積と同一の五十八町五反三畝九歩である。右土地は原告の主張するとおり訴外千明賢治が昭和十一年三月十九日国から不要存置国有林として払下をうけたものであり、この払下は大正四年七月二十九日林第三七七号不要存置国有林野整理処分手続(改正大正十一年四月林第一二九号、同十五年十一月第三六二一号営林局)第四条により必ず実測によらねばならぬ場合に該当し、その実測の結果公簿面積が八十五町七反一畝二十歩から五十八町五反三畝九歩に減少していることをみても明らかである。したがつて原告主張の四六六四番と四六六三番の二の境界線は真実に合しない。
以上いずれの理由からみても原告の請求は認容されうべきものではない。
以上のとおり陳述した。<立証省略>
三、理 由
四六六四番はもと国有林であつたが昭和十一年三月十九日に原告の先代千明賢治が国から払下をうけて所有権を取得し、同人は昭和十八年六月二十一日死亡し原告がその家督相続をしたこと及び四六六三番の二は被告十条が昭和二十五年十二月中所有者たる被告三井から買受け、昭和二十六年十月二十七日その所有権移転登記を経たものであることはいずれも当事者間に争がない。
よつて先ずこの両地が隣接するものであるか否かについて考えてみると、本訴において当事者双方から証拠として提出された各種図面の中官公署の作成したものは甲第三号証(前橋地方法務局東出張所備付の土地台帳附属地図の写)と乙第十八号証の三(沼田営林署作成の国有保安林図)の二葉であつて、これらの成立は当事者間に争なく、これと成立に争なき甲第一号証、乙第十八号証の一の各記載を綜合すれば、四六六四番は赤沢(川)の西北方に位し、大字土出との境を北辺とし、南へほぼ半円形をなし、その東方並びに南方において四六六三番の二と隣接していることが明らかである。右認定に反する甲第十号証添付図面、乙第二号証、同第九号証の一、同第十号証、同第十九号証(以上いずれも同種図面)、同第二十二号証の各記載はいずれも採用し難く、証人大谷滋の証言は措信できず他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
進んで両地の境界がいかなる場所にあるかについて考えようとするのであるが、そのためには先ず四六六四番そのものの位置と区域を確定せねばならぬ。この点につき成立に争なき甲第五号証の一乃至三(証人倉田国蔵に対する訊問調書等)において同証人は原告の主張に符合する供述をしており、原告本人も亦当裁判所における訊問において同趣旨の供述をしておるけれども、これらの供述は後に採用する一部分を除いてはたやすく措信し難い。一方証人島崎吉兼、同斎藤肇、同大谷滋、同野辺田進は四六六三番の二の西部境界について被告等の主張に符合する供述をしているけれども、これらの各証言は昭和十八年十月二十五日になされた原告と訴外上毛森林土地株式会社との間の境界設定契約の条項から多少とも影響を受けていることはその証言自体によつて明らかである。然るに右境界設定契約においては、後に説明する通り、四六六四番が除外せられているのであるから、四六六四番の位置と区域を確定するに当つては右境界設定契約は暫く度外に置くべきものである。さて甲第十号証の添附図面、乙第二号証、同第九号証の一、同第十号証、同第十九号証はいずれもその起源を同じくすることはそれらの図面自体によつて明らかである。甲第十号証(添附図面を含めて)及び乙第十九号証は成立に争なく、甲第十号証の添附図面中「乙四千六百六十四番」なる記載が誤記であることも争がない。乙第九号証の一の中朱書部分を除きその余の部分の成立は争なく、証人舟山麗次の証言によれば朱書部分も亦真正に成立したことを認め得る。乙第二号証の成立は証人大谷滋、同舟山麗次の各証言により、乙第十号証の成立は証人大谷滋の証言により認める。而して乙第十号証に「元官林区域」と記載してある土地、その余の前記各図面に「官林」と記載してある土地が四六六四番であること及び右各図面中乙第十九号証(大正五年十二月作成)が最古のものであることは右各書証と各証人の証言及び証人野辺田進の証言により真正に成立したことを認め得る乙第九号証の二を綜合して認定するに充分である。よつて最も古き乙第十九号証を採つて説明を進める(他の図面を採つても結論は同じである)。乙第十九号証は後にも触れる通り、沢や尾根の位置長短等の記載は余り精確ではないが、これを甲第一号証と対照すると、字赤沢と字女原との境界(赤沢山以南)及び大字東小川(字赤沢)と大字土出との境界(赤沢山より東北にのびる線)は頗る精確であるといえる。四六六四番の北辺が大字土出との境に接することは前記の通りであつて、乙第十九号証と甲第一号証とを対比し、境界線の屈曲の模様、縮尺の割合等を考慮して四六六四番の北辺の東端を求めると、それは小赤沢の第九支流の谷を北上して大字境に達する点即ちト点であること、又北辺の西端は滝の沢と大沢との分水嶺が大字境に達する点の稍々西南方即ちと点であることを発見する。次に四六六四番の東の境界について考える。甲第一号証、成立に争なき甲第七号証(赤書部分を除く)及び検証の結果によれば、乙第十九号証の図面に「西沢」とあるのは小赤沢を指称し、「小赤沢」とあるのは西沢を指称するものであることが明瞭である。乙第十九号証には四六六四番(「官林」と表示)の北辺東端から大字境を東方へ進み最初の凹所(土出側からいえば凸所)から赤沢本流と小赤沢(「西沢」と表示)との合流点に向つて稜線を記載してあるが、甲第一号証によればこの稜線は赤沢本流と小赤沢との分水嶺でなければならないから、乙第十九号証記載の小赤沢(「西沢」と表示)の記載は精確ではないのであつて、これは稜線の反対側(西側)に記載すべきものである。四六六四番の東の境界については遂に的確なる証拠の徴すべきものがないのであるが、赤沢本流と小赤沢との分水嶺を離れてその西方に存することは上叙の説明と乙第十九号証により明らかであつて、土地の境界は通常沢又は尾根によつて劃されることが多いという実験則に従い、四六六四番の東の境界は前記ト点から小赤沢第九支流の谷を下り小赤沢との合流点チ点に達し、チ点から小赤沢を下りその第一支流との合流点ホ点に達する線であると推測する。四六六四番の南の境界については、前示甲第五号証の一乃至三、証人浜田寿雄の証言及び原告本人訊問の結果によれば、右ホ点から小赤沢の第一支流の谷を上り、野猿岩の南側を経て小赤沢と滝の沢との分水嶺に達する(これをヘ点とする。原告は野猿岩が小赤沢と滝の沢との分水嶺上に存するものとしているが、検証の結果によれば、野猿岩から分水嶺までは尚数町の距離があるのであつて、原告の真の主張はこの認定と同趣旨であると解する)ことを認める。甲第一号証及び乙第十九号証によれば、境界線は更に右分水嶺を越えて西方へ進み結局前記と点と連結するのであるが、この部分は後記の通り四六六三番の二と隣接していないから判断を省略する。前顕甲第三号証記載の赤沢(川)の先端が左折しているのは小赤沢を表示したものと解すべく、証人宮田照司、同新井晴が小赤沢の奥に国有林があつたと供述していること、又検証の結果によれば小赤沢と滝の沢との分水嶺の北方部分に楢、山毛欅の巨樹林があつて、この地域は他の地域と林相を異にしていること等は四六六四番の位置と区域についての上叙認定を支持する資料である。検証の結果によれば、赤沢本流と小赤沢との合流点附近他二カ所に境界標柱の存することが認められるけれども、これらの標柱は原告が昭和二十五年十一月に建立したものであることはその自ら主張する所であり、当時既に原告と被告等との間に境界に関する紛争が起つていたことは原告本人訊問の結果により明らかであり、且つ被告三井は当時原告外一名に対して右標柱の建立に対し異議を述べたことは成立に争なき乙第二十号証により認め得るから、右の如き標柱が存在することは未だ以て上叙認定を左右するに足りない。四六六四番はその東方並びに南方において四六六三番の二と隣接していることは最初に認定した所であつて、小赤沢と滝の沢の分水嶺の前記ヘ点以南の部分は四六六三番の二(東側)と四六六三番の三(西側)との境界であることは当事者間に争がないから、四六六四番と四六六三番の二との境界は前記ト、チ、ホ、ヘの各点を前記のように連結した線であるということができる。念のために一言すると、成立に争なき甲第四号証の三、乙第二十四号証の一、二及び証人宮田照司、同新井晴の各証言と前記乙第十九号証を綜合するときは、四六六四番は四六六三番の三に囲繞せられている(従つて四六六三番の二と隣接しない)観がある。しかしこれは乙第十九号証の作成者の過誤に帰すべきであつて、この作成者は、この外にも、前記の通り小赤沢と分水嶺の位置を取違えたり、甲第一号証と対照すれば明らかな通り滝の沢の重要な上流の部分を遺脱したりしているのである。甲第三号証及び乙第十八号証の三のような明瞭な公図が存在する以上、一葉の乙第十九号証によつて被告等主張のような事実を認定することはできない。さきの認定に反する甲第九号証、乙第五号証の一、同第六号証、同第七号証、同第十二号証の二のイ、同第十五号証の各記載は採用し難く、証人宮田照司、同新井晴、同浜田寿雄、同姉崎一作の各証言中さきの認定に反する部分は措信できず、乙第一号証の三、同第三号証の四、同第四号証、同第十六号証の二、同第二十二号証の各記載によつても右認定を覆えすに足りない。証人田川格源の証言(第二回)によつて真正に成立したものと認める甲第十一号証の二の記載により真正に成立したものと認める甲第二号証によれば、明和年間より大字東小川字赤沢には「百姓稼ぎ山」と区別された赤沢栂原と称せられる「お留山」が存在し、その山は縦十六町、横十町であつたことは認められるけれども、右赤沢栂原が果して四六六四番であるとは遽に断定し難く、況やこれによつて四六六四番の位置と区域を確定せんとすることは不能といわねばならぬ。
被告等の(一)の主張については、四六六三番の二及びその地上立木がもと被告等主張の原告他三名の共有に属し、同人等四名が大正五年十二月二十三日右土地他十三筆(四六六四番は含まない)の地上立木中直径四寸以上のものを訴外田中栄八郎、同大川平三郎に売渡し(但し原告が四六六四番として主張する地域については、右契約の目的物となつていたかどうかに争がある。以下各契約につき同じ)昭和三年六月一日被告等主張のとおりの現物出資並びに会社設立契約が締結され、同九年二月三日訴外上毛森林土地株式会社が設立され、同月二十二日被告等主張のとおりの移転登記があり、昭和十八年十月二十五日右会社と原告との間に境界設定契約が締結され、その後被告等主張の各日時にその主張するとおりの経過の下に被告三井、同十条が順次前記土地並びにその地上立木を所有するに至つたことは当事者間に争がないが、成立に争のない乙第一号証の一、二、同第五号証の二、三、同第十九号証、原本の存在並びにその成立につき争のない乙第三号証の一並びに三の各記載を綜合すれば、原告が四六六四番として主張する地域の中前記認定の四六六四番の地域の土地並びにその地上立木については、前記大正五年十二月二十三日における売買契約の目的物となつていないし、右契約を前提としてその後締結された前記現物出資契約においてもその目的物になつておらず、更に前記境界設定契約においては、四六六四番を該契約より除外する旨を契約書(乙第一号証の二)に附記した事実を認めることができる。而して原告本人訊問の結果によれば、右境界設定契約を締結するについては契約当事者が実地を踏査すべく菅沼、丸沼の奥から始めたのであるが、本件係争地附近まで来た頃は降雪が始まつたため踏査を中止して境界だけを決めてしまつた。しかし四六六四番は元来上毛森林土地株式会社とは何等の関係もないのであるから、そのことを明確にするため双方承諾の下に前記のような附記をしたものであることが認められる。右認定の事実によれば、原告は四六六四番に関する一切の権利を留保したものであつて、後日調査の結果四六六四番の区域が右契約によつて上毛森林土地株式会社の所有地とせられた範囲にまで及ぶ場合においては、原告はその権利を主張し得るものと解するを相当とする。この認定は証人島崎吉兼の証言、乙第二十一号証の一、二の記載によつても覆すことはできない。したがつて被告等のこの主張は採用できないのである。
又被告等の(二)の主張については、原告と訴外千明三郎が昭和九年八月九日両名の共有する四六六三番の三の一部の地上立木を訴外舟山麗次に売渡したことは当事者間に争がないが、前記甲第十号証並びにその添附図面、乙第九号証の一、二、同第十号証の各記載を綜合すれば、前記売渡区域はその東北において四六六四番と隣接してはいるが、その隣接境界は前記甲第一号証の記載と照合すれば、大字土出と大字東小川との境界線と滝の沢と大沢との分水嶺の線とが合する地点の附近即ち前記と点から略々東南方に向つて下る線であることが認められ、これに反する乙第十二号証の三、四、の各イの記載、証人芝崎峰次、同浜田寿雄、同姉崎一作、同大石栄、同舟山麗次の各証言はたやすく信用できないし、検証の結果によるも右認定を覆すことができず、前示認定の隣接境界線から考えて直ちに四六六四番が小赤沢と滝の沢との分水嶺より西側にのみ、四六六三番の三に囲まれて存在するものとは云えない。故に被告等のこの主張も四六六四番と四六六三番の二との境界線について前示の認定を左右することはできないのである。
そこで被告等の仮定的主張について順次判断する。
先ず(三)の主張については、訴外千明賢治を含む原告他三名が大正五年十二月二十三日立木を訴外田中、同大川両名に売渡し、同訴外人等と原告他三名が昭和三年六月一日土地と立木を訴外上毛森林土地株式会社に現物出資することを約したことは当事者間に争がないが四六六四番は前記両契約の目的物になつていなかつたことはさきに(一)について説明した通りであるからこの主張も採用し難い。
被告等はなお四六六四番の中小赤沢と滝の沢の分水嶺以東の区域を時効によつて取得したと主張するけれども、上毛森林土地株式会社及び三井物産株式会社が右区域を占有したことは証人島崎吉兼の証言乙第一号証の三、同第三号証の四、同第四号証その他当事者双方の全立証をもつて認めるに足りないから、同会社がこれを占有していたことを前提とするこの主張も理由がない。
なお、被告等の(五)の主張については、成立に争のない甲第四号証の一、乙第十七、第十八号証の各二の各記載、証人前野秀宗の証言を綜合すれば、四六六四番の公簿面積五十八町五反三畝九歩は実測によつたものであると認められ、甲第五号証の二、同第十二号証の三の各記載、証人星野祐一の証言、原告本人訊問の結果によつてもこれを覆すことはできない。しかし四六六四番の地域は前示認定のとおりであつて、その認定せられた区域の実測面積が幾何であるかはこれを認めるに足る資料はないが、原告が四六六四番なりと主張する区域の面積が約百二十町であるとすれば、当裁判所において認定した四六六四番の区域はその約二分の一であることが甲第一号証によつて窺い得るから、公簿面積とほぼ同様となる。仮に公簿面積との間に若干の差異が生ずるとしても、これをもつて直ちに四六六四番と四六六三番の二との境界線に関する前示認定を不当とすることはできない。
しからば四六六四番は現に原告の、これに隣接する四六六三番の二は現に被告十条のそれぞれ所有するところであり、同被告は両地の境界を争い、しかも被告三井が前示認定の四六六四番の地上立木中小赤沢と滝の沢の分水嶺以東にある部分を伐採した当時においては四六六三番の二の所有者であり、当時原告が四六六四番を所有していたのであるから、被告三井が右両地の境界を争う限り、原告は被告三井の右伐採を不法行為として損害賠償を求める前提として、同被告に対しかかる境界確認の請求(民事訴訟法第二百三十四条)をすることも許されると解すべきである。よつて原告の請求中境界確認請求の部分につき主文第一項の通り一部判決をし、訴訟費用中原告と被告三井との間に生じた部分についてはその負担を定めず、原告と被告十条との間に生じた部分の負担につき民事訴訟法第九十五条但書、第九十二条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 奥田嘉治 黒沢信夫 柳川俊一)
白根温泉附近地形図 <省略>